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中国の水軍とか調べようとすると村上水軍とか出てきてそっちじゃねえ!ってなるからこういう動画本当に助かります。
最高!!!!!!我好此類動画!!!!!!!雖受験勉強辛、我不諦!!!!!!感謝🔥❤️🔥
ちょうど水軍情報欲しかったときなので助かる~~~~♪
これから長江を下って呉に攻め入るところなので助かります
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、感謝……只々感謝……!ありがとうございます〜!
ちょうど鄱陽湖で戦わなきゃならないところなので助かります!
Thanks!
格別のご厚意、いつも感謝しております!感謝感謝雨霰でございます!!
伍子胥や夫差が生きていた紀元前480年にギリシャではアテネがペルシアに勝利したサラミスの海戦が発生しているけど、ここで活躍した三段櫂船がちょうど楼船に似通っていて面白いまあ三段櫂船の方は衝角攻撃が主だったみたいだけど
興味深い内容でした。中国史を題材にした小説や漫画等でも勝利者たる北方の勢力が主人公になることが多いこともあり、水上戦の様子を事細かに描写する、ってことが少ないように思えます。なので艦艇の種類や戦い方についての説明は初めて知ることが多かったです。ガレー船主体であったり、接舷しての白兵戦だったり、このあたりの水上戦の様子はローマ時代の戦い方ともよく似ていますね。
闘艦と蒙衝は自分も三国志のゲームで知りましたが、蒙衝の語源は初めて知りました。牛のなめし革を使っていたんですねぇ…
蒙衝で敵船に突撃した場合、蒙衝も壊れてしまうので乗っていた将兵は川に飛び込んで味方の船に救助してもらっていたらしい。
楚漢戦争で、補給に関して漢が圧倒したのは、担当者の能力だけではなく、漢は洛陽辺りまで水運を使えたからもあるな。
なるほど曹だったのか、とても勉強になる。続編も期待!
最終的に現代の空母打撃軍みたいなかんじになるのがおもしろいね
こういう古代中国の艦船のプラモが欲しいな、と思ってしまう。
三国志3で初めて戦船の種類が出てた気がする。
懐かしい。三国志Ⅲは本当に面白かった。
最近ちょくちょくカードゲームネタ鳥人間やってくれて助かる。
面白かったです。明代の水軍史が待ち遠しいです。帆凪
魏志倭人伝的に興味深い。
現代でもそうだが、大量の物資や人員を運ぶ際には船を使うのが一番コスパがいい。特に遠方への遠征となればなおさらだし、河川の多い南方なんかその傾向が強かったと思う。だから、戦闘機会の多い南方で造船技術が発達し、それが秦の中華統一後に北方へと伝わっていった。ただ、外洋船の技術が発達してきたのが漢代というのは意外でした。まあ、漁師などが使うような船はあったのでしょうが、軍事行動用の大型船を使う機会はあまりなかったのでしょうか…。(戦国時代の沿岸沿いの国とか使いそうなのに。)まあ、海は波があるし、嵐に遭えば瞬く間に遭難するしで、河川と比べて危険が大きすぎたのかも…。(技術も発達してないし。)
16:43の蒙衝がAI生成画像みたいで面白い。実際にそのような冒突(軍船)があったとも言う記事もあるし、単に冒突(斬り込み)するだけの船だという記事もある。とにかく蒙衝は「めくら」のように敵中に突撃する船だったので蒙衝なんだろう。
16:49 ロト
手漕ぎボートは4ノット程度(6~7㎞)が限度なのよ。だから河での戦闘なら圧倒的に上流側が優位。帆船が出来るまでの水上戦は、戦闘開始時の位置取りがほぼ全てですよ。
なんやかんや古代の水軍でも船にいろんな役割があるのは近現代と変わらないね。フリゲート艦や駆逐艦みたいな役割の船とか楼船はまんま戦艦だしね。
黄金卿で草。次回は「ペガサス・J・クロフォード杯鳥二ダード・ライディング・デュエル・グランプリ人間」の提供でお願いします。
15:31 このとき生皮を剥がれた牛の肉って、やはり造船施設の職人たちが食べてたんでしょうか。だとすると、ささやかな役得ですね。
16:44 サラッとロトの紋章が貼られてますなー。HD-2D版のロト三部作も楽しみであります。
たとえ水上戦だろうと勝負を決めるのは白兵戦呉越の戦いのほぼ同時期に地中海でバリバリ海戦してた共和政ローマさんもそう言ってる
ローマが本格的な海戦始めたのは第一次ポエニ戦争からじゃない?呉越のバチバチの時より200年くらい遅いような
「艦」の語源て監獄+楼船だったんですね
白起のところ、600万斛も兵糧用意されてたらそら勝てるよねという感想
「中国での船舶の使用って、何か河川での運用に重心が寄っているような…」「日本の河川と違って、黄河や揚子江になると、もはや湖に近いイメージだ。波風激しい外洋での航海に適した頑丈な船舶の開発に対して、どこか消極的な姿勢を感じる」「でも鄭和の艦隊は壮大な航海を実現しているじゃないか」「そこはいわゆる『元寇』で無理矢理外洋型船舶の建造を強要された時代の、技術的名残ではないかな?鄭和の艦隊はそういう技術的継続性を持っていたが、永楽帝没後の明は内向的な陸軍国歌に回帰してしまったので、外洋航海技術を急速に喪ってしまったのが現実に起きたことだ」
呉絡みでいえば、「孫子」ってあまり水上戦を考えたものに思えないのがほぼ唯一の欠点だと思います。これは孫武が陸戦、伍子胥が水戦みたいに役割が分けられていた、とは考えられませんかね?
今回も見応えありました。ギリシア・ローマとも共通する古代中国の水軍の戦い方と編成ですが、「水上の城塞」という楼船を作ってしまうのが漢帝国の独自性であり生産能力の高さというところでしょうか。
船の種類で「ろとう」でロトが出てきて草w🤣
古代の海上の戦となると、地中海世界との比較も気になるね。ペルシア戦争〜ペロポネソス戦争時代は、呉の興隆から滅亡に近い時期だし重なる部分もあるので特に。
キングダムには普通に水軍でてくるねえ
河川での戦闘の場合、下流側が不利な気がするのですがそこいらどうしてたのでしょう?
呉の海上戦術が倭に伝わっていそうですね。
水にィ浮かべたァ楼閣のォ船ェ~♪
白村江の戦い以前、日本は朝鮮半島南部沿岸にも勢力を及ぼしていた。当然半島と本土(九州)との往来には船が必要だったんだが、どの程度の船舶を用いていたのかわからん 唐と喧嘩するくらいなんだから、それなりの船は持ってたと思うのだけど…
呉の滅亡後は大型船の技術があるので、呉王の遺族は役に立てる技術者を連れて日本に稲作をもたらしていったり、やがて日本文明の躍進に繋がっていったでしょう。日本の漢字の音読みが実はほとんど呉音だったりするのも、頷ける今日今ごろの感想ですが。
ロマンですよね〜
日本の稲作は3000年前には既に日本に伝わっていることが遺伝子調査や出土品から明らかになっていますよ
@@宮下弘明 育種専門家として知られている学者の和佐野喜久生さんは、日本の稲作は主に紀元前4世紀以降、中国から伝わったと言いました。ちなみに戦国時代の呉国は紀元前473年に滅亡しているので、なにかのつながりがあるのかもしれません。
@@jlzhang3374 新技術や品種の提供といった技術交流があったのは確実でしょうし、落ち延びた渡来人が功績を盛ったのかもしれませんね
@@jlzhang3374ちゃんと日本文明と明言してくれる人をコメント欄で初めて見て嬉しい。ハンチントンの「文明の衝突」は有名ですが、なかなかいないものでつい…
重い武器は持てないだろうに、泳いで船底を破壊するとは
モンゴルの頃には川に木の杭突き刺されますよ。
ノミみたいなもので木材の継目を抉る感じじゃないですかね?
こんな事もあろうかと「バールのようなもの」!
実際は船底を壊すのではなく、舵を壊していたんじゃないかと思う。
3:25辺りから流れて来る曲名をどなたか、教えて下さい
これだけの造船技術があったのに、18 世紀末の時点でイギリス人に「こいつらの造船と航海術マジ論外、こんなんでよく海に出られるな」ってこき下ろされるんだよなあ。
だって鄭和さんの時代がピークだから。そこから300年以上経ってむしろ衰えてるから。
技術を失わないと思うよ。清国で製造したジャンク耆英はアメリカやイギリスまで航海したようだ。
どこ情報? 木造帆船としてジャンクは極めて優秀で、ヨーロッパの船よりも帆走性能は優れていたんだが? 隔壁構造とか、効率的に追い風を受けられるようにマストを直線的に並べないとか、舵に穴を開けて操舵しやすくしているとかな(←ヨーロッパ人がこの方法に気づいたのは第一次大戦後だ)
@@sett-5273 商船と戦闘艦が別れる時代の前だから、商船も戦闘艦目線で見られるからな。商船としての機能限定ならもう少し高いだろう。
@@sett-5273 ジョージ・マカートニーの日記。人種的バイアスもあると思うけど、多方面では中国人をよく褒めてるので信頼できるかなとは思った。船については素人なので、指摘助かった、ありがとう。
かっこいい…それ以外に男が述べることもないであろう。
ロトw
秦が工事や造船で人を駆り出しすぎて江南地域の人のヘイトを買ったのがよくわかる。
日本の戦国時代の水軍に関する記録は中々残ってないのに中国の方では古代からの記録がよく残っているものだなぁ…。
中国人は記録魔だから
日本的战国,就相当于几个县城打群架,哪里和中国一样几万人甚至几十万大军对垒这样威武霸气🤪
こう言っては何だが、日本の「壇ノ浦の戦い」がちっぽけに見えそうだ。日本より圧倒的に造船技術が発達したのは、時代背景と地理的事情などもあったにせよ、必要は発明の母、戦争は技術開発の母ということを雄弁に物語っている。
壇ノ浦は時間帯によって流れが逆転したからなので戦い方としては河川での戦闘より難しくなる
日本でも織田信長が村上水軍と戦う為に西洋技術の鉄船を導入して大勝を納めた記録がある。日本で船を用いた海上戦というとやはり川より瀬戸内海のような陸で囲まれている海での戦いでないと船が活躍する機会がなかったんだろうな。
昔の中国人は偉大だったってことだね。
流石にこの時代と壇ノ浦なら壇ノ浦の方が技術的に大分進んでるのではそもそも日本の強みってこの中国という文化技術的な最先進地域からのフィードバックを受けやすい立地ってのもあるしそれこそ海で寸断されてた古代なら日本と中国の差はとてつもなかったと思うけど、航海できるようになった中世以降は中国の技術進歩の恩恵を日本も受けるからな古代中国と比べて中世日本が技術的に劣るってことはないと思う同時代で比べるなら当然負けるが
急流や海流の厳しい島国にはまた違った高度さがあるもんです。日本も捨てたもんじゃないですよ
「呉越同舟」というような展開は起こらず「臥薪嘗胆」されてしまったのか呉………水軍はやがて海軍となり、河川砲艦やモニター型砲艦、潜水艇などが実用化されていったという。時は流れ、中華人民共和国になってウクライナから「ワリャーグ」を引き取り、中国初の空母を実現させた(半分は嘘)
ーコメ、水軍史です
高い所なら遠くが見える遠くが見えるなら戦局を予想できるという万国共通の真理には到達できても、なぜ高所なら遠くまで見通すことが出来るのかに考えが及ばないのか古代中国の残念なところ。・・・それに気が付いたギリシャの方がおかしいのか。
ッチ死んだはずでは!?
祥興帝「皇祖爺爺!」安徳天皇「おじじ様(平清盛)の憧れの国の人!」「造船技術の進歩で大規模な海上戦が行われるようになったのだよ。匡ちゃん。」「ジェンギズ・カアン君は物知りだね。」
いつもご支援いただき、まこと感謝感激でございます!ありがたき幸せ……!!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます!感謝!感激!雨霰!!
中国の水軍とか調べようとすると村上水軍とか出てきてそっちじゃねえ!ってなるから
こういう動画本当に助かります。
最高!!!!!!我好此類動画!!!!!!!雖受験勉強辛、我不諦!!!!!!感謝🔥❤️🔥
ちょうど水軍情報欲しかったときなので助かる~~~~♪
これから長江を下って呉に攻め入るところなので助かります
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、感謝……只々感謝……!
ありがとうございます〜!
ちょうど鄱陽湖で戦わなきゃならないところなので助かります!
Thanks!
格別のご厚意、いつも感謝しております!
感謝感謝雨霰でございます!!
伍子胥や夫差が生きていた紀元前480年にギリシャではアテネがペルシアに勝利したサラミスの海戦が発生しているけど、ここで活躍した三段櫂船がちょうど楼船に似通っていて面白い
まあ三段櫂船の方は衝角攻撃が主だったみたいだけど
興味深い内容でした。
中国史を題材にした小説や漫画等でも勝利者たる北方の勢力が主人公になることが多いこともあり、水上戦の様子を事細かに描写する、ってことが少ないように思えます。
なので艦艇の種類や戦い方についての説明は初めて知ることが多かったです。
ガレー船主体であったり、接舷しての白兵戦だったり、このあたりの水上戦の様子はローマ時代の戦い方ともよく似ていますね。
闘艦と蒙衝は自分も三国志のゲームで知りましたが、蒙衝の語源は初めて知りました。牛のなめし革を使っていたんですねぇ…
蒙衝で敵船に突撃した場合、蒙衝も壊れてしまうので乗っていた将兵は川に飛び込んで味方の船に救助してもらっていたらしい。
楚漢戦争で、補給に関して漢が圧倒したのは、担当者の能力だけではなく、漢は洛陽辺りまで水運を使えたからもあるな。
なるほど曹だったのか、とても勉強になる。続編も期待!
最終的に現代の空母打撃軍みたいなかんじになるのがおもしろいね
こういう古代中国の艦船のプラモが欲しいな、と思ってしまう。
三国志3で初めて戦船の種類が出てた気がする。
懐かしい。
三国志Ⅲは本当に面白かった。
最近ちょくちょくカードゲームネタ鳥人間やってくれて助かる。
面白かったです。明代の水軍史が待ち遠しいです。帆凪
魏志倭人伝的に興味深い。
現代でもそうだが、大量の物資や人員を運ぶ際には船を使うのが一番コスパがいい。特に遠方への遠征となればなおさらだし、河川の多い南方なんかその傾向が強かったと思う。だから、戦闘機会の多い南方で造船技術が発達し、それが秦の中華統一後に北方へと伝わっていった。ただ、外洋船の技術が発達してきたのが漢代というのは意外でした。まあ、漁師などが使うような船はあったのでしょうが、軍事行動用の大型船を使う機会はあまりなかったのでしょうか…。(戦国時代の沿岸沿いの国とか使いそうなのに。)まあ、海は波があるし、嵐に遭えば瞬く間に遭難するしで、河川と比べて危険が大きすぎたのかも…。(技術も発達してないし。)
16:43の蒙衝がAI生成画像みたいで面白い。
実際にそのような冒突(軍船)があったとも言う記事もあるし、単に冒突(斬り込み)するだけの船だという記事もある。
とにかく蒙衝は「めくら」のように敵中に突撃する船だったので蒙衝なんだろう。
16:49 ロト
手漕ぎボートは4ノット程度(6~7㎞)が限度なのよ。
だから河での戦闘なら圧倒的に上流側が優位。
帆船が出来るまでの水上戦は、戦闘開始時の位置取りがほぼ全てですよ。
なんやかんや古代の水軍でも船にいろんな役割があるのは近現代と変わらないね。フリゲート艦や駆逐艦みたいな役割の船とか楼船はまんま戦艦だしね。
黄金卿で草。
次回は「ペガサス・J・クロフォード杯鳥二ダード・ライディング・デュエル・グランプリ人間」の提供でお願いします。
15:31 このとき生皮を剥がれた牛の肉って、やはり造船施設の職人たちが食べてたんでしょうか。だとすると、ささやかな役得ですね。
16:44 サラッとロトの紋章が貼られてますなー。HD-2D版のロト三部作も楽しみであります。
たとえ水上戦だろうと勝負を決めるのは白兵戦
呉越の戦いのほぼ同時期に地中海でバリバリ海戦してた共和政ローマさんもそう言ってる
ローマが本格的な海戦始めたのは第一次ポエニ戦争からじゃない?
呉越のバチバチの時より200年くらい遅いような
「艦」の語源て監獄+楼船だったんですね
白起のところ、600万斛も兵糧用意されてたらそら勝てるよねという感想
「中国での船舶の使用って、何か河川での運用に重心が寄っているような…」
「日本の河川と違って、黄河や揚子江になると、もはや湖に近いイメージだ。波風激しい外洋での航海に適した頑丈な船舶の開発に対して、どこか消極的な姿勢を感じる」
「でも鄭和の艦隊は壮大な航海を実現しているじゃないか」
「そこはいわゆる『元寇』で無理矢理外洋型船舶の建造を強要された時代の、技術的名残ではないかな?鄭和の艦隊はそういう技術的継続性を持っていたが、永楽帝没後の明は内向的な陸軍国歌に回帰してしまったので、外洋航海技術を急速に喪ってしまったのが現実に起きたことだ」
呉絡みでいえば、「孫子」ってあまり水上戦を考えたものに思えないのがほぼ唯一の欠点だと思います。これは孫武が陸戦、伍子胥が水戦みたいに役割が分けられていた、とは考えられませんかね?
今回も見応えありました。ギリシア・ローマとも共通する古代中国の水軍の戦い方と編成ですが、「水上の城塞」という楼船を作ってしまうのが漢帝国の独自性であり生産能力の高さというところでしょうか。
船の種類で「ろとう」でロトが出てきて草w🤣
古代の海上の戦となると、地中海世界との比較も気になるね。ペルシア戦争〜ペロポネソス戦争時代は、呉の興隆から滅亡に近い時期だし重なる部分もあるので特に。
キングダムには普通に水軍でてくるねえ
河川での戦闘の場合、下流側が不利な気がするのですがそこいらどうしてたのでしょう?
呉の海上戦術が倭に伝わっていそうですね。
水にィ浮かべたァ楼閣のォ船ェ~♪
白村江の戦い以前、日本は朝鮮半島南部沿岸にも勢力を及ぼしていた。当然半島と本土(九州)との往来には船が必要だったんだが、どの程度の船舶を用いていたのかわからん 唐と喧嘩するくらいなんだから、それなりの船は持ってたと思うのだけど…
呉の滅亡後は大型船の技術があるので、呉王の遺族は役に立てる技術者を連れて日本に稲作をもたらしていったり、やがて日本文明の躍進に繋がっていったでしょう。日本の漢字の音読みが実はほとんど呉音だったりするのも、頷ける今日今ごろの感想ですが。
ロマンですよね〜
日本の稲作は3000年前には既に日本に伝わっていることが遺伝子調査や出土品から明らかになっていますよ
@@宮下弘明 育種専門家として知られている学者の和佐野喜久生さんは、日本の稲作は主に紀元前4世紀以降、中国から伝わったと言いました。ちなみに戦国時代の呉国は紀元前473年に滅亡しているので、なにかのつながりがあるのかもしれません。
@@jlzhang3374 新技術や品種の提供といった技術交流があったのは確実でしょうし、落ち延びた渡来人が功績を盛ったのかもしれませんね
@@jlzhang3374ちゃんと日本文明と明言してくれる人をコメント欄で初めて見て嬉しい。ハンチントンの「文明の衝突」は有名ですが、なかなかいないものでつい…
重い武器は持てないだろうに、泳いで船底を破壊するとは
モンゴルの頃には川に木の杭突き刺されますよ。
ノミみたいなもので木材の継目を抉る感じじゃないですかね?
こんな事もあろうかと「バールのようなもの」!
実際は船底を壊すのではなく、舵を壊していたんじゃないかと思う。
3:25辺りから流れて来る曲名をどなたか、教えて下さい
これだけの造船技術があったのに、18 世紀末の時点でイギリス人に「こいつらの造船と航海術マジ論外、こんなんでよく海に出られるな」ってこき下ろされるんだよなあ。
だって鄭和さんの時代がピークだから。そこから300年以上経ってむしろ衰えてるから。
技術を失わないと思うよ。清国で製造したジャンク耆英はアメリカやイギリスまで航海したようだ。
どこ情報? 木造帆船としてジャンクは極めて優秀で、ヨーロッパの船よりも帆走性能は優れていたんだが? 隔壁構造とか、効率的に追い風を受けられるようにマストを直線的に並べないとか、舵に穴を開けて操舵しやすくしているとかな(←ヨーロッパ人がこの方法に気づいたのは第一次大戦後だ)
@@sett-5273
商船と戦闘艦が別れる時代の前だから、商船も戦闘艦目線で見られるからな。商船としての機能限定ならもう少し高いだろう。
@@sett-5273 ジョージ・マカートニーの日記。人種的バイアスもあると思うけど、多方面では中国人をよく褒めてるので信頼できるかなとは思った。
船については素人なので、指摘助かった、ありがとう。
かっこいい…それ以外に男が述べることもないであろう。
ロトw
秦が工事や造船で人を駆り出しすぎて江南地域の人のヘイトを買ったのがよくわかる。
日本の戦国時代の水軍に関する記録は中々残ってないのに中国の方では古代からの記録がよく残っているものだなぁ…。
中国人は記録魔だから
日本的战国,就相当于几个县城打群架,哪里和中国一样几万人甚至几十万大军对垒这样威武霸气🤪
こう言っては何だが、日本の「壇ノ浦の戦い」がちっぽけに見えそうだ。日本より圧倒的に造船技術が発達したのは、時代背景と地理的事情などもあったにせよ、必要は発明の母、戦争は技術開発の母ということを雄弁に物語っている。
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戦い方としては河川での戦闘より難しくなる
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昔の中国人は偉大だったってことだね。
流石にこの時代と壇ノ浦なら壇ノ浦の方が技術的に大分進んでるのでは
そもそも日本の強みってこの中国という文化技術的な最先進地域からのフィードバックを受けやすい立地ってのもあるし
それこそ海で寸断されてた古代なら日本と中国の差はとてつもなかったと思うけど、航海できるようになった中世以降は中国の技術進歩の恩恵を日本も受けるからな
古代中国と比べて中世日本が技術的に劣るってことはないと思う
同時代で比べるなら当然負けるが
急流や海流の厳しい島国にはまた違った高度さがあるもんです。日本も捨てたもんじゃないですよ
「呉越同舟」というような展開は起こらず「臥薪嘗胆」されてしまったのか呉………
水軍はやがて海軍となり、河川砲艦やモニター型砲艦、潜水艇などが実用化されていったという。時は流れ、中華人民共和国になってウクライナから「ワリャーグ」を引き取り、中国初の空母を実現させた(半分は嘘)
ーコメ、水軍史です
高い所なら遠くが見える遠くが見えるなら戦局を予想できるという万国共通の真理には到達できても、なぜ高所なら遠くまで見通すことが出来るのかに考えが及ばないのか古代中国の残念なところ。・・・それに気が付いたギリシャの方がおかしいのか。
ッチ死んだはずでは!?
祥興帝「皇祖爺爺!」安徳天皇「おじじ様(平清盛)の憧れの国の人!」「造船技術の進歩で大規模な海上戦が行われるようになったのだよ。匡ちゃん。」「ジェンギズ・カアン君は物知りだね。」
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まこと感謝感激でございます!
ありがたき幸せ……!!
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます!
感謝!感激!雨霰!!